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水戸地方裁判所 昭和47年(ワ)55号 判決 1976年5月27日

原告

甲野花子

被告

右代表者法務大臣

稲葉修

右指定代理人

船津宏明

外四名

主文

被告は原告に対し金五〇万円及びこれに対する昭和四七年三月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを六分し、その五を原告の負担としその余を被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告が山田検事から昭和四一年一一月二日付をもつて別紙公訴事実のとおり私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載、同行使の罪の嫌疑があるとして水戸地方裁判所に公訴を提起されたこと、同裁判所が昭和四四年二月二七日右事件につき原告無罪の判決を言渡し、同判決が控訴提起なく確定したことは、当事者間に争いがなく、同判決が同年三月一四日確定したことは、刑事訴訟法上明らかである。

二そこで、本件公訴提起が原告の主張するように山田検事の不当かつ不備な捜査に基づく違法な公権力の行使に該当するのか否かについて判断する。

まず、本件公訴提起が、国家賠償法第一条所定の「国の公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて」なした行為であることは明らかなところ、かかる検察官の公訴提起の違法性の有無の判断については、結果的に当該事件が刑事裁判で無罪に確定したからといつて、直ちに公訴提起が違法であつたということになるわけではなく、公訴提起の時点を基準として、事後的に審査し、検察官が事案の性質上当然になすべき捜査を怠り証拠資料の収集が不十分となつたか、又は証拠資料の収集は十分であつても、その評価を誤るなどして、経験則、論理則上到底首肯し得ない程度に不合理な心証形成をなし、その結果客観的にみて有罪判決を得られる見込みが十分でないにもかかわらず公訴提起した場合に、はじめて当該行為が違法であるとの評価を受けるものと解すべきである。

右の理は、刑事訴訟法が証拠の証明力につき自由心証主義を採用し、裁判官によつても一定の証拠から形成される心証にある程度の個人差の生ずることが不可避となるのであるから、いわんや検察官と裁判官とでは、起訴時と判決時とにおいて証拠が量的質的に異なつてくるのが通常であることからすれば、判断にくい違いの生ずることもまことにやむを得ない場合があるといい得るからである。しかしながら、検察官としては、公訴提起が被告人に極めて重大な不利益を与えることに鑑み、公訴権の行使につきとりわけ慎重な態度が要請されているのであり、したがつて、公訴提起にあたつての証拠の収集評価については検察官に高度の注意義務が課せられていることもまた認めなければならない。かかる注意義務は、個人差を捨象した客観的に通常の検察官に要求されているところのものであり、具体的には個々の事件の罪質、態様、被告人の弁解、証拠資料の多寡、内容等に応じて決めていくほかないわけである。

右の見地から、本件公訴提起に踏み切つた山田検事の判断の合理性の有無について検討することにする。

1  原告が昭和四〇年四月三〇日ころ藤井康子から同女所有の茨城県水戸市元吉田町字東組三八四番の二宅地約二二七平方メートルほか住宅、倉庫等を代金一七〇万円で買受けたこと、原告が右宅地を三筆に分割するため藤井康子名義の委任状を作成したうえ、土地家屋調査士小林友二郎をして右宅地の分筆手続をとらせたこと、藤井康子が原告に無断で委任状を作成され宅地を三筆に分割されたとして原告を水戸警察署に告訴したこと、原告が昭和四一年一〇月二五日水戸地方検察庁において山田検事により逮捕され、勾留中のまま公訴提起されたことは、当事者間に争いがない。

2  本件の刑事事件での争点は、原告が前記土地分筆についての委任状を作成するについてあらかじめ藤井康子の承諾を得ていたかどうかの一点にかかるのであり、山田検事としても、捜査にあたつて当然この点に留意していたものと思われ、その捜査の結果、右承諾を得ていなかつたことが公判廷において十分立証できると判断し本件公訴提起に踏み切つたのであろう。

ここでは、山田検事がかような判断をするに至つた捜査の経緯等についてみてみるに、前記争いのない事実に、<証拠>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  本件刑事事件は、昭和四〇年九月一四日藤井康子が水戸警察署長に対し、原告を「私文書偽造行使並びに印鑑偽造行使」の罪を犯したとして告訴する旨の告訴状を提出したことに端を発し、捜査が開始された。右告訴の要旨は、告訴人と原告(名義上は有限会社高丸商事)との間に昭和四〇年四月三〇日告訴人所有宅地等を代金一七〇万円で売買する契約が成立し、手付金を差し引いた残代金一三六万円が同年五月三一日限り支払われる約束になつていたところ、原告は右履行を怠つたばかりか、告訴人に無断で同月一七日小林友二郎を代理人とし、告訴人の委任状並びに印鑑を偽造して勝手に前記告訴人所有宅地の分筆登記申請書を作成し、水戸地方法務局に提出して行使した、というものであつた。

警察では、同年九月二一日及び同月二二日の両日藤井康子から事情を聴取し、同月二四日及び同年一二月八日の両日原告から弁解を聴取してそれぞれ供述調書を作成するとともに、同年九月二二日小林友二郎からも事情を聴取して供述調書を作成し、なお同年一一月二九日にはさらに藤井康子から前記告訴と同一の事実関係のもとに、原告を公正証書原本不実記載の罪で告訴する旨の告訴状の提出を受けた。右捜査の結果、水戸警察署司法警察員は、同年一二月一三日、原告に私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載、同行使の罪の嫌疑があるとして、事件を水戸地方検察庁に送付する手続をとつた。

(二)  水戸地方検察庁では、担当検察官として山田検事が捜査にあたり、昭和四一年一〇月一日藤井康子から、同月一三日小林友二郎から、同日土生正司から事情を聴取してそれぞれ供述調書を作成し、また本件分筆登記申請書や原告の前科関係を調べたうえ、同月二四日私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載、同行使の罪で原告に対する逮捕状の発付を得て翌二五日原告を逮捕し、さらに同日勾留状の発付を得てこれを執行するとともに、同日あわせて「被疑者と刑事訴訟法第三九条第一項に規定する者以外との接見を禁止し、かつ文書(市販の書籍、雑誌を除く。)の授受を禁ずる」旨の接見等禁止決定を得た。山田検事は、原告の身柄拘束のまま、同月二八日及び同年一一月一日の両日原告を取調べて供述調書を作成し、同年一〇月二八日原告の夫甲野一郎から事情を聴取して供述調書を作成した。なお、同検事は、本件売買契約の立会人となつた福田徳一から事情を聴取すべくその所在を探したが、行方が知れず事情聴取はできなかつた。

(三)  前記藤井康子、小林友二郎及び原告の各供述並びに本件売買契約書、分筆登記申請書、その他関係証拠を総合すると、原告が不動産関係の取引業をしていたこと、原告が昭和四〇年四月三〇日藤井康子から同女所有の茨城県水戸市元吉田町字東組三八四番二宅地六九坪及び木造瓦葺平家建居宅一棟建坪一七坪五合、他倉庫、店舗、湯殿の各付属建物を合わせて代金一七〇万円で買受ける契約を結び、既に同月二六日に前渡しのしてあつた金一〇万円と当日支払つた金二四万円との合計額金三四万円を手付金とし、残代金一三六万円は同年五月三一日限り右不動産の所有権移転登記と引換えに支払うこととし、もし原告が右支払いを怠つたときは、藤井康子において本件売買契約を解除し手付金を同女の所得になし得るものとなつていたこと、原告が同月一〇日ころ藤井康子に対し前記残代金の内金として金六万円を支払つたこと、原告が土地家屋調査士小林友二郎に、本件宅地を三筆に分割したいので急いで測量をして欲しい旨依頼し、同月一〇日ころ同人とともに藤井康子方を訪ね、小林友二郎に本件宅地の分筆のための測量を実施してもらつたこと、その際藤井康子は在宅していたこと、小林友二郎が右測量の数日後本件宅地を三筆に分割する登記申請書類を作成し、自から委任状用紙に、委任事項として小林友二郎を代理人とし本件宅地の分筆登記を水戸地方法務局に申請する件、委任者として、藤井康子の住所氏名をそれぞれ記載したうえ、これを原告に渡し藤井康子の捺印を受けてくるよう指示したこと、その数日後原告が右委任状の藤井康子名下及び捨印として上欄に自から購入した「藤井」と刻印してある楕円形の印鑑を押捺し、同委任状を小林友二郎方に届けたこと、小林友二郎が藤井康子の代理人として右委任状とともに、同月一七日本件宅地の分筆登記申請書を水戸地方法務局に提出し、そのころ土地登記簿の原本に、本件宅地が三八四番の二宅地19.77坪、同番の三宅地9.96坪、同番の四宅地39.26坪に分筆された旨の登記記入がなされたこと、原告が同月三一日約束の残代金を藤井康子方に持参しなかつたため、同女が本件売買契約を解除することにし、同年六月一日原告宛に前記受領していた内金六万円を返送するとともに、同日訪ねてきた原告らが期限の猶予を請うのに対してはこれを拒否したこと、原告が水戸地方裁判所に対し本件宅地につき昭和四〇年四月三〇日付売買による所有権移転のための仮登記仮処分を申請し、同年六月二日この決定がなされ、同決定が本件宅地の三筆に分筆されていることを表示した更正決定とともに、同月一一日ころ藤井康子に送達されたこと、以上の事実は証拠上明らかであつた。

(四)  ところで、前記測量時の模様については、

小林友二郎の検察官に対する供述調書によると、

「十時半頃から測量にかかつたが、藤井康子さんという人も立会い測量する事は勿論承諾していて、隣りの境界線も場所を教えたりしてくれました。

花子が住宅と店舗の間に線を引き、次に倉庫と住宅との間に線を引き、三筆に分筆してくれと言うので、その様に測量して分筆の図面を作りました。

立会の藤井康子に意見を聞いたが、別に異議はなく、図面を作つて午後二時頃測量が終り花子等と引揚げました。」

との供述記載になつており、

藤井康子の検察官に対する供述調書によると、

「ところが、五月十日正午頃、花子、士生、名前のわからない男等が私方へ来ました。

そして、甲野花子が現金六万円を出し、これを内金に払いますと言うので、どうしようかと思つたが、主人と相談して領収証を渡しました。

すると、甲野花子が宅地を測量させてくれと言いました。私の主人は六万円受取つたのち出掛けてしまうし、私一人でどうしていいかわからないので代書人の加瀬三男に電話で聞いて見たら、

宅地を測らせるだけならいいだろう。しかし書類に印鑑は押さない方がいい。と言うので宅地の測量をさせますと、午後四時頃までかかつて測量してから皆んな引揚げて行きました。」

との供述記載になつており、

原告の検察官に対する供述調書(昭和四一年一〇月二八日付)によると、

「私は五月十一日頃、土地家屋調査士小林友二郎に右藤井方の土地の分筆登記をしてくれと電話で頼みました。

その一、二日後、小林が事務員を連れて私の事務所へ来たので、私と土生の車で藤井方へ行きました。

藤井夫婦に

分筆登記をしたいので土地を測量させてくれ

と言うと承諾して康子は表へ出て境界線等を教えてくれたりしたので分筆の測量ができました。

私は、測量の最後までいなかつたので、その折は、藤井夫婦に分筆登記の書類に判を押してくれ等は頼まなかつたのでした。」

との供述記載になつている。

(五)  次に、原告が前記測量ののち藤井康子に本件宅地の分筆登記申請のための委任状に押印して欲しい旨交渉したことは双方の供述の一致しているところであるが、そのやりとりについては、藤井康子の司法警察員に対する供述調書(昭和四〇年九月二二日付)によると、「測量を終つて甲野さん達は一旦帰りましたが、其の日の午後四時頃と思いました。

甲野花子さんから私方に電話がありまして、

判を押してくれ。

と言つて来たのですが、

だめです。

とことわつたのです。

ところが、甲野さんとしてはそれが不服らしくどうしても私に印鑑をおして貰いたいと思つたらしく、

自分の財産になつて居るものだから、いくらでもはんをおせるだろう。はんはどんなものでも良いのだから。

としつこく言つたのですが、加瀬さんからの注意もあつたので、ことわつたのです。

それから二、三日すぎた本年五月十二、三日頃にも、甲野花子さんから電話があつたのです。

そして電話口に出た主人に向つて、

はんを押してくれ。

と申したのですが、それもことわつたのです。」

との供述記載があり、検察官に対する供述調書によると、

「その日帰つてのちに花子が電話をよこして来て、

書類に判を押してくれ。

と言つたが、加瀬さんから注意されていた事を思い出し、

お金を全部貰うまではだめです。

と言うと花子が、

もう土地家屋は自分のものになつたのだ。だからいくらでも判を押して貰つてもいいんだ。どんな判こでもいいから押してくれ。

としつこくいいましたが、主人も留守だしだめだと断つてしまいました。

その後、五月十二日か三日頃、又電話があり主人がでると、

書類に判を押してくれ。

と言うし、主人は、

元金全部貰うまでは、一切判を押すことはできない。

と主人が断りました。」

との供述記載になつており、

原告の司法警察員に対する供述調書(昭和四〇年一二月八日付)によると、「その翌日の昼頃、水戸法務局に分筆登記するのに藤井さんの印鑑が欲しかつたので福田さんと二人で藤井康子さんの家を尋ねたのです。

そして私は藤井さんに

分筆登記するについて藤井さんの印鑑が欲しい。それというのは藤井さんの委任状が必要だから。

と言いましたところ、藤井さんは、

土地を分筆登記するについて印鑑が必要だというが、実印しかないし、私としては甲野さんに土地を売つてしまつたのですから、甲野さんが申請したらよかつぺ。藤井の印なら何処にでもあるから。

と言つたので私は、

そんならそうしますよ。

と申して帰つて来たのです。」

との供述記載があり、検察官に対する供述調書(昭和四一年一〇月二八日付)によると、

「私は福田と二人で右委任状を持つて藤井方へ行きました。すると主人は留守で康子一人がおり右委任状を示して、

分筆登記するから名前の下に判を押して貰いたい。認印でもいいから。

と言うと康子は、

家には認印はない。実印しかないからそれには判を押せない。あんたに売つたのだから金さえ全額貰えばいい。と言つて認印も実印も押してくれないのでそのまま引揚げました。それから私は水戸駅降車口の売店へ行き、卵形の藤井と書いてある三文判を六十円で買つて帰り、私の事務所で右委任状の康子の名下と捨判を押しました。」

との供述記載になつている。

3  既に説示したとおり、本件刑事事件は、原告と藤井康子間の土地売買にからむ民事紛争に基因して藤井康子からなされた告訴に端を発するものである。そして、その争点は、原告の土地分筆をするについての委任状作成が藤井康子の意思に基づかないものであつたか否かというもつぱら事実認定にかかわることであつた。双方の供述内容は、争点に関する重要な部分になると相反しているわけであるが、かような民事紛争にからむ事件では、一般に双方が自己に利益な事実のみを強調し、不利益な事実を秘匿することによつて、自己に有利な形で民事紛争を解決しようとするものであり、むしろ供述の一致しないことが通例といえよう。

したがつて、かような事件を捜査する検察官としては、一方に偏するこのとないのは勿論、予断を抱くことなく双方の言い分を十分聴取したうえ、客観的事実関係に照らし合わせて検討することが必要であり、とくに被告訴人の公訴提起に踏み切る場合には、公判廷において争われることが当然予想されるのであるから、とりわけ告訴人の供述の信用性については十分な裏付けをしておくことが不可欠となるのである。

本件刑事事件において、山田検事は、前記争点に関する藤井康子の供述を信用し得るものと判断したのであろうが、<証拠>によると、原告に対する無罪判決の理由中では、右の点に関する藤井康子の供述は信用できないものと排斥されており、かえつて本件委任状作成については同女の了解があつたものとさえ認定されている。全く正反対の結論になつているのである。

そこで、以下、藤井康子の供述の信用性について検討することにするが、当裁判所も、結論的には、同女の供述内容にはかなりの疑問点のあることが指摘できるのであり、委任状作成につき同女の了解まであつたといい得るかどうかは別としても、その信用性は相当低いものと判断せざるを得ないと考える。

すなわち、まず昭和四〇年五月一〇日ころになされた本件宅地の測量が分筆のためのものであることを藤井康子が承知していたという事実が認められることである。前示二2(四)に記載したとおり、藤井康子も測量を了承したこと自体は認めており、また小林友二郎及び原告は分筆のための測量であることを藤井康子に告げたうえ、同女から境界線等について指示を受け測量を行なつたのであり、その際同女から何らの異議も述べられなかつたというのである。原告としては、分筆を目的としての測量を小林友二郎に依頼したのであり、小林友二郎としては、本件宅地の境界線がわからなくては測量ができないのであるから、藤井康子に測量の目的を話し境界線等の指示を受けるのは自然の成行であり、しかも当日ころ原告から同女に内金六万円の授受もなされており、そのころ当事者間に何らのもめごともなく順調に経緯していたのであることからして、右小林友二郎や原告のいうことは十分うなずけるのである。<証拠>によれば、小林友二郎は、本件刑事事件の公判廷において証人として、この点さらに詳細に証言しており、その内容は右に述べたところから措信するに足るものと思われる。なお、証人藤井康子の証言によると、同女は当時右測量が分筆のためのものであることを知らなかつたというが、この証言は右認定に照らし措信できない。

次に、前示二2(四)及び(五)に記載した藤井康子の供述の内容自体に不自然な点が認められることである。同女は、原告から右測量の了承を求められた際、司法書士の加瀬三男に電話で相談し、宅地を測らせるだけならいいが、書類に印鑑を押さない方がいい、との指示を受けたという。しかしながら、一般に土地の買主が該土地の測量をしようとすることは通常考えられることであり、わざわざ司法書士に相談しなくてはならない筋合のものではない。しかも、右測量の際、原告が藤井康子に対し書類等に押印を求めることはなかつたのに、同女が押印しない方がいい旨の指示を受けたというのは不自然である。また同女は、原告から書類に押印を求められたのは電話によつてのみであるという。しかしながら、原告が分筆のための委任状に同女の押印をもらうためには少くとも、委任状を同女のもとに持参しなければならないし、仮に当初電話で連絡し断わられたとすれば、一度位は同女宅を訪ねて説得するのが普通であろう。電話で数回書類に判を押してくれと頼まれたのみであるというのは、原告が一貫して藤井康子方を訪ね同女に委任状についての承諾を求めたと供述していたことからして、疑問が感じられないわけではない。

次に、藤井康子は遅くとも昭和四〇年六月一一日本件宅地の仮登記仮処分決定(更正決定を含む)の送達とともに、本件宅地が三筆に分筆登記されていることを知りながら、最初の告訴が約三か月後の同年九月一四日になされていることである。<証拠>によれば、藤井康子は昭和四〇年九月一二日ころ水戸地方法務局において本件宅地の分筆登記申記書類を閲覧し、同日小林友二郎方を訪ね分筆登記の経緯について詰問したことが認められるが(成立に争いのない甲第三号証では、同年六月一一日水戸地方法務局において申請書類を閲覧したとなつているが、その月日は誤りである。)その間放置しておいたことについては納得のいく説明はなされていない。同女が真に分筆についてあずかり知らないというのなら、何故にもつと早く分筆登記申請書類等について調査しなかつたのか不可解である。

さらに、藤井康子が昭和四〇年五月二七日付で三通の同女名義の印鑑証明書の交付を受けている事実が認められることである。この点同女の司法警察員及び検察官に対する各供述調書中には一言もふれられていないが、<証拠>によれば、原告に対する無罪判決の重要な理由ずけのひとつになつており、また証人藤井康子の証言によると、三通の印鑑証明書の交付を受けた点についても山田検事から事情を聞かれたというのであるから、同検事は公訴提起前に右の点を認識していたのである。三通の印鑑証明書というと、本件宅地が三筆に分筆登記されたことと対応するわけであり、無視することができない事実であるのに、藤井康子は印鑑証明書を三通とつたことについて納得のいく説明をすることができないのであつて、分筆登記されていたことを当然の前提としていたのではないかとの疑念を抱かせるのである。

最後に、藤井康子は司法書士加瀬三男の指示にしたがい原告の求めた押印を拒否したというのであるが、一方加瀬三男は、藤井康子から同女のいうような電話での相談を受けたことはないし、いわんや押印するなとの指示を与えたことは絶対にないと証言していることである。<証拠>によれば、加瀬三男が原告に対する公訴提起前に警察官あるいは検察官から事情聴取を受けたことのないのは明らかなところ、同人の本件刑事事件での公判廷における証言によると、

「測量の時、藤井康子から証人に電話があつて、今買方が測量に来ているのだが、どうしたらよいかと聞かれたことはありませんか。

その様なことはありません。

証人は藤井康子から委任状に印を押してよいかどうか電話で聞かれたことはありませんか。

ありません。

そのようなことを藤井康子から電話で聞かれたり、また直接聞かれたことはありませんか。

ありません。」

との供述をしていることが認められる。してみると、藤井康子か加瀬三男のいずれかの供述が虚偽であるといわざるを得ないわけであり、加瀬三男の供述が虚偽であると立証できない以上、藤井康子の供述の信用性は少なからず減殺されることになるのである。

4  前示したところからすれば、藤井康子の供述の信用性については否定的に考えざるを得ないのであるが、山田検事としても公訴提起に先立ち客観的な事実関係に照らし合わせて証拠を検討しておれば、同じような疑問に突きあたつた筈である。もつとも、加瀬三男の供述の点については、事前に同人から事情聴取をしていないので知る由もなかつたわけであるが、それとても何故に公訴提起前に同人を調べておかなかつたのか当然に問題にされるところである。<証拠>によれば、加瀬三男は、本件刑事事件の公判廷において、証人として、藤井康子の供述を否定したのみならず、さらに当時藤井康子の夫から、本件宅地を女の人に売却し、その買主が本件宅地を三筆に分割するため測量したとの話を聞いたが、その際藤井康子の夫は分筆に反対するような態度は示していなかつた旨の原告の弁解にそう供述さえしている。

ところで、被告は、三文判を買つてでも押せといわれた旨の当初の原告の弁解が不自然であつたし、原告が身柄拘束後一週間後には無断で委任状を作成した旨の自供もしており、また原告が同種前科を有する悪徳不動産業者と認められること等からすれば、本件公訴提起に違法の廉はない旨主張するので、この点みてみるに、なるほど原告が当初「藤井の印なら何処にでもあるから。」押してよいとの承諾を受けたと弁解し、その後供述が変わり、「判を押せない。」と断わられたと自供するに至つたことは前示二2(五)に記載したとおりであり、また<証拠>によれば、原告は、水戸地方裁判所において、昭和一二年七月一五日公文書偽造、同行使、詐欺の罪により懲役八月、執行猶予二年の判決(同月二三日確定)を、昭和三二年六月六日詐欺の罪により懲役五月の判決(昭和三六年二月二四日確定)を、昭和三五年一二月一五日有印私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載、同行使、詐欺の罪により懲役一年の判決(昭和三八年二月二〇日確定)をそれぞれ受けた前科を有し、とりわけ最後の事件が、相続登記未了の他人所有の土地につき勝手に有合印を用いて相続登記のための委任状等を作成し、情を知らない司法書士をして相続登記の申請をさせたという本件刑事事件に類似する事件であることが認められる。してみると、山田検事が右の点から原告の嫌疑濃厚であると判断したこともあながち理由のないことではない。原告が自から藤井と刻印してある三文判を買い求めて委任状に押捺したことは外形的事実として明らかだつたのであり、これに原告の右弁解、自供及び同種前科を考え合わせると、捜査官として原告に対し疑いを持つことは一応もつともなことだつたといえる。しかしながら、翻つて考えてみるに、そもそも分筆登記とは単に権利の対象としての土地の個数を細分化するにすぎないのであつて、実質的には権利者に不利益を与えるものでないのであるから、仮に土地の買主が該土地を分筆したいといえば、売主としてあえてこれに異をとなえなければならないことではない。ただ売却代金を全額受領していない場合には、売主として土地分筆のためにしろ自己の印章を押捺することが、他の何らかの目的に流用されるのではないかと懸念し、ためらうことは普通であろう。そこで、売主が自から押印こそしないが代金さえ後日確実に支払つてもらえるなら、一応買主の方で一切の分筆登記の手続をしておいてよいと考えることもあり得ないことではない。かような考え方からすれば、原告の当初の弁解はそれほど不自然であるともいえないし、また原告の自供も「実印しかないからそれには判が押せない。あんたに売つたのだから金さえ全額貰えばいい。」と藤井康子にいわれたというのであるから、藤井康子が暗黙のうちに分筆について承諾していたと解する余地も全くないわけでない。原告の右自供は自白としての価値がそう高いものとは思われないのである。また同種前科の点はこれを直接的に真実認定の資料に用いることが適当でないことは明らかである。そうすると、原告の自供、前科関係をことさら重視し本件公訴を提起することは、有罪判決を得られる見込みという観点からすると極めて危険というほかないのである。

5  これまで説示してきたところを総合して、本件公訴提起についての山田検事の過失の有無について判断するに、当裁判所は、前示事実関係からして、同検事には本件事案において要求される証拠の収集評価を誤まつた過失があり、その結果違法な公訴提起をなすに至つたものと考える。

当裁判所がもつとも疑問に思うのは、何故公訴提起前に加瀬三男を調べておかなかつたのかという点である。前示のとおり本件刑事事件は民事紛争にからむ告訴事件であり、告訴人の供述については十分な裏付けが必要とされるところ、加瀬三男を調べるまでもなく原告の有罪の証拠が十分であつたというのならいざ知らず、本件事案ではかえつて藤井康子の供述に前示のとおりいくつかの疑問点がありその信用性についての裏付けが必ずしも十分でなかつたといえるのであるから、藤井康子が原告の求める押印を拒否した根拠を加瀬三男の指示によるものと供述していた以上、これを確認すべく同人を調べておくことが是非とも必要だつたのである。なぜなら、加瀬三男の供述が藤井康子の供述と一致するか否かによつて、藤井康子の供述の信用性が全く異なるものになるからである。本件において、もし山田検事が公訴提起前に加瀬三男を調べていたとすれば、同人は本件刑事事件で証人として証言したところと大略同趣旨の供述をしていたと推認されるので、その場合、同人の供述は藤井康子の供述と全く相反することになるから、山田検事がそれでもなお原告の公訴提起に踏み切れたかどうかはかなり疑わしくなり、おそらくは前示の疑問点を合わせ考え、藤井康子の供述の信用性については十分な立証ができないとうことで原告の公訴提起を思い止まるほかなかつたと思われる。また、実際そうすべきだつたのである。したがつて、山田検事は、この点本件事案の性質上当然になすべき捜査を怠り、ひいて藤井康子の供述の信用性についての評価を誤つた過失があるといわれてもやむを得ないものと考える。そして、その他前示二3、4で述べたことを総合検討すると、本件事案においては、公訴提起の時点で客観的に判断した場合、有罪判決が得られる見込みがあつたものということはできず、山田検事が捜査の不備及び証拠の評価の誤りから非合理的な心証形成をなし、その結果本件公訴の提起を行なつたものであり、この公訴提起が通常の検察官に許容される裁量の範囲を逸脱していることは否定できない。

なお、<証拠>によると、本件宅地についての前示仮登記仮処分命令に基づく所有権移転仮登記の申請(昭和四〇年六月四日付)は、加瀬三男が原告の依頼によつて原告名義の登記申請書を事実上作成したことが認められるけれども、このことから直ちに原告に有利な加瀬三男の証言が虚偽であると断ずることはできないので、右事実も前記結論に影響を及ぼすものではない。

もつとも、当裁判所としても、藤井康子の供述がすべて信用できず同女が本件宅地の分筆について承諾していたとまで認定するものではない。原告の供述についても必ずしも全面的に信用できないものがあり、本件事案において原告が無実(犯罪事実の不存在)であるとの認定はできない。しかし、本訴請求のように公訴提起の違法性が争われた場合、原告の無実を積極的に認定することは必要でなく、公訴提起時において客観的にみて有罪判決を得られる可能性が乏しく公訴提起をひかえるべきであつたのに、あえて公訴を提起したとの事実が認められればそれで必要にして十分である。

以上説示したとおり、本件公訴提起は、山田検事の過失による違法な公権力の行使に該当するから、被告は、国家賠償法第一条第一項により原告に対し、その損害を賠償する責任を免れない。

三原告の損害について考えてみるに、原告は、本訴において、本件公訴提起により名誉を侵害された精神的苦痛に対する慰藉料のみを請求している。当裁判所は、これまで説示してきた一切の事情を斟酌し、原告にも本件宅地の分筆手続を行なうについて果して藤井康子の承諾を得ていたかどうかにつき疑問を抱かれてもやむを得ない点のあつたこと及び原告の前科等を考慮し、本件公訴提起による原告の精神的苦痛は金五〇万円をもつて慰藉さるべきが相当であると考える。

四よつて、原告の本訴請求中、金五〇万円の慰藉料及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四七年三月一七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるのでこれを認容し、その余の部分については理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、なお仮執行の宣言については本件事案にかんがみその必要性はないものと考えられるからその申立を却下することとし、主文のとおり判決する。

(石崎政男 長久保武 武田聿弘)

(別紙)  公訴事実

被告人は、有限会社高丸商事の代表取締役として不動産取引業を営むものであるが、昭和四〇年四月三〇日ころ、藤井康子(当五〇歳)から、同人所有にかかる同市元吉田町字東組三八四番の二所在宅地約二二七平方米(六九坪)(以下本件宅地と称す)及び住宅、倉庫等を、代金百七十万円で買受ける契約を結び、手付金として金四十万円を支払つていたが、その後残金の支払いをしなかつたため、右不動産の所有権が藤井康子に留保されていたのに、同人名義の委任状を偽造して、本件宅地の分筆登記をしようと企て、行使の目的をもつて、同年五月中旬ころ、同市西原町二区三、二五四番地土地家屋調査士小林友二郎方において、情を知らない同人をして、委任状の用紙一通の委任事項欄に「本件宅地の分筆登記申請に関する件を右小林友二郎に委任する」旨記載させ、末尾委任者欄に「水戸市元吉田町三八四番地藤井康子」と冒書させ、さらに、その頃、同市栄町二丁目二、一六六番地有限会社高丸商事において、被告人が、右委任状の藤井康子の名下に、当時買い求めた「藤井」と刻印してある偽造の認印を冒捺し、もつて、藤井康子名義の委任状一通を作成偽造したうえ、右小林友二郎をして、同月一七日ころ、同市北見町一番四号水戸地方法務局において、同局登記官長塚臣六郎に対して、「本件宅地を19.77坪、9.99坪及び39.26坪の三筆に分筆したい」旨記載してある藤井康子名義の土地分筆登記申請書とともに右偽造の委任状を真正に成立したものの如く装つて提出して行使させ、右登記官をして土地登記簿の原本にその旨不実の記載をさせ、これを同局に備えつけさせて行使したものである。

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